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大阪高等裁判所 昭和54年(う)121号 判決 1979年9月20日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、京都地方検察庁検察官検事小林照佳作成の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は、弁護人川中宏、同飯田和子連名作成の答弁書記載のとおりであるから、これらを引用する。

論旨は、量刑不当を主張し、原判決は、被告人がその夫松本勝幸(当時三三年)の頸部をぬれタオルで締めつけて窒息死させた、という殺人の公訴事実に対し、大筋において公訴事実と同旨の事実を認定したうえ、被告人の所為は過剰防衛に当るとして、懲役四年の求刑に対し刑の免除を言渡したが、原判決の量刑は、刑の免除を言渡した点において著しく軽きに失し不当であるから、原判決を破棄したうえ更に適正な裁判を求める、というのである。

そこで、所論にかんがみ記録を精査し、当審における事実取調の結果をも参酌して、次のとおり判断する。

本件は、原判決が詳細に判示するように、定職をもたず性格的にも異常なところもあり、交際中の被告人にしばしば凶暴な暴力を振いながら、自分の指を切って届けるなどして強く執ように結婚を迫った前記勝幸と別かれることもならず、家族の強い反対を押し切って結婚し二児までもうけた被告人が、結婚後も勝幸が日常的に凶暴な暴力を振う一方仕事を怠け飲酒や競馬等に金をつぎ込むため、いわゆるサラ金から借り受けた債務の弁済や家計の足しに止むなくホステス勤めに出るようになって間もない昭和五三年六月四日の夜、勤め帰りに預けた子供を引取りに立寄った同人の実母宅に姿をみせた勝幸から、種々難詰、乱暴されたのに続き、深夜、原判示の桂川堤防上に連行されたうえ、約二、三〇分にわたり全身に殴る蹴るの手ひどい暴行を受けたのに続き、死ねといいながら手で強く首を締められたため、このままでは殺されると思い、咄嗟に殺意を生じ、同人の頸部をぬれタオルで締めつけ窒息死させて殺害したが、被告人の右所為は過剰防衛に当る、という事案であり、本件犯行の罪質、動機、態様、結果の重大性、ことに、被告人は、被害者の急迫不正の侵害に対する防衛意思に止まらず、長年うっ積した同人に対する憎悪、憤激の心情も加わって反撃行為にで、首を締められ転倒後は抵抗らしい身動きをしなかった同人に対し、確定的殺意をもって絞頸行為を継続し、遂に同人を殺害したものであること等にかんがみると、被告人の所為が過剰防衛に当るとしても、なおその刑責の重大なことを主張する検察官の所論には、多分に傾聴すべき指摘を含むものと考えられる。しかしながら、他方、原判決が詳細に認定する、本件犯行に至る経緯、犯行の動機ないし原因、被告人が被害者から受けた急迫不正の侵害の態様程度等を含む犯行の状況等、ことに、被告人は、勝幸からの長年に及ぶ左眼失明をもきたしたような激しい暴行を伴う虐待にも耐え、生活苦の中に子供二人の養育と家庭の維持に努めてきたのに拘わらず、事件当夜、同人から従前の凶暴さにわをかけた狂気のごとき暴行を受け頭部顔面打撲挫創をはじめ全身にわたる打撲擦過傷を蒙ったうえ、首を手で強く締められたこと、深夜人気の全くない前記堤防上で行われたこの絞頸行為は、その行為の態様とその前に行われた暴行の激しさなどからみて被告人をして生命の危険を感じさせるに足りるものであり、現に被告人は、このまま放置すれば殺されると思い、肉体的苦痛と死の恐怖による極度の興奮、狼狽の心理状態のもとで、自己の生命を防衛するための咄嗟の反撃行為として、夢中で同人をつき離したうえ、一瞬の間にたまたま手に入ったぬれタオルでその首を締め続けたものであること、したがって、その際、自己の生命に対する防衛意思のみでなく、これまで耐えしのび、うっ積した憎悪や憤激の情が入り混っていたにせよ、またそれが防衛の程度を超えたものであったにせよ、これを強く批難することはできないものといわなければならないこと、被告人は犯行現場から伏見警察署に直行し自首していること、その他原判決が量刑事由として摘示する諸事情を含め、諸般の情状を斟酌すると、所論指摘の諸点に十分の考慮を払っても、被告人に対し刑の免除を言渡した原判決の量刑が、不当に軽きに失するものであるとまでは考えられない。論旨は理由がない。

よって、刑事訴訟法三九六条により、本件控訴を棄却し、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 石松竹雄 裁判官 岡次郎 久米喜三郎)

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